2016年4月20日

報道の独立性

日本外国特派員協会が主催した「意見及び表現の自由」に関するディビッド・ケイ氏の報告を興味深く拝見した。確かに既存のマスコミ各社は「記者クラブ」というシステムにがんじがらめになって身動きが取れなくなっているというのが実態。こうなると、政権批判をしにくくなることはもちろんだが、逆に政権を評価したくても、それが全てご機嫌うかがいをしているかの如く捉えられてしまう可能性さえあり、記事の真意が伝わりにくくなってしまうのだ。

電波法、放送法の縛りは容易に越えられるものではないが、今こそメディア自らが一斉に記者クラブを解体して、各社の思想・信条に即した報道をしてもいいのではないだろうか。その際、NHKは公共放送という中途半端な立ち位置ではなく、国営放送と割り切ればいい。今の状況はいわばオール国営メディアといった状況と言えなくもないのだ。



ただ、私が見る限り、各メディアとも意外にブレていないような気がする。今夜のテレ朝「報道ステーション」とフジテレビ「ユアタイム」は顕著に方向が違っていた。 どちらが良い悪いという評価は個人の領域なので述べないが、そうした報道を各人の思想・政治信条に合わせて視聴・購読すればいいのではないだろうか。

我々が唯一後世に伝えるべきことは、戦争という過去の過ちを二度と繰り返さないということに尽きる。そのために先人達はいくつかの重大な選択をしながら、71年という年月を重ねてきた。経済、外交、安保、沖縄、原発、教育などなど。そして、その全ての分野には様々な考えが存在し、その考え方それぞれに正義が存在しているということを常に忘れてはならない。


私は講師をしている専門学校でこうした政治の話題も取り扱うことがあるのだが、レッスンの際は、どちらかが正しいと説くことは価値の押し付けになるので、なるべく両方の意見を提示するよう心がけている。その両方をきちんと提示し、個人的な意見は根拠を示した上で一番最後に述べるようにしている。

そのくらいの気配りをしてから話しをしないと、彼らは簡単に我々の話しに洗脳されてしまうだろう。それだけ教える立場というのは繊細で責任重大ということなのだ。改めて襟を正さなければなるまい。