2015年7月15日

泥棒を捕らえて縄をなう

昨年末の解散総選挙で安倍総理はアベノミクスの中間評価をしてもらう…と声高に訴え、安保法案に関しては争点にしていなかった。そういう点で言えば、彼は国民を欺いたことにはなる。

とは言え、政権の性質を見ていれば、今回のような流れに至ることは選挙前から想像できたはず。今になって急に反対の声を挙げたとて、すでに時遅しである。なぜもっと早くに行動を起こさなかったのか。"にわか反対論者"のお祭り騒ぎと言われても仕方がない。「泥棒を捕らえて縄を綯(な)う=泥縄」とはまさにこのこと。


私も安倍政権の安保法案採決に向けての一連の流れ、そもそも憲法解釈の変更による集団的自衛権の行使自体には反対である。しかも、国民の理解が深まらない中で一気に進めようとする姿勢は決して許されるべきものではない。

ただ、アメリカにだけ頼って自国を守っていくことに限界が来ていることは紛れもない事実。そのために時間をかけて将来の防衛について議論していく必要はあるのだ。沖縄県民でもないのに「辺野古は白紙!」「米軍出ていけ!」とだけ訴えている人達は果たして国の行末を慮って発言しているのだろうか。擁護するつもりはないが、戦争を積極的に肯定する政治家はごく少数。思想の右左に関係なく、多くの人が将来を憂いているのだ。

日本国憲法(国立公文書館デジタルアーカイブより引用)>

いずれにせよ、法案に対する国民の理解が進んでいないのは明らかで、本来は採決を一旦見送るべきであろう。本気でやりたいのであれば、解釈の変更などという姑息な手段は使わず、正々堂々と憲法改正を発議すればいいのだ。与党・野党とも最近の政治家は目先のことばかり。もっとしっかりとした国家観を持ち合わせた人物はいないものか。

今こそ我々1人1人が学ぶ時である。政(まつりごと)に普段からもっと目を向けていれば、こんなことにはならなかったはず。結局、国民が馬鹿でいてくれたほうが政府としては何かと都合がいいのである。あなたはそのような風潮を許すのか。家族・親子・友人同士でもっと世の中について普段から論戦を交わすべきではないのか。無知な自分を放置していることこそ最も恥ずべき行為。目先の感情論ではなく、大局的視点を持つことこそが必要であると私は思う。