2013年3月22日

私がつぶやかない訳

「服部さんはツイッターやってないんですか?」と聞かれることが多い。もちろん、流行りに乗り遅れたというのもあるが、私が「ツイッター」に手を出さないのにはそれなりの理由がある。手を出さない理由、それはズバリ「つぶやく」ことの気楽さが性に合わないからである。

ネットコミュニケーションの基本は見ず知らずの人がネット上のみでも関わり合いを持てることだ。反面、実際に対面するコミュニケーションのように本心を相手に伝えることはほぼ不可能に近い。実はここには「コミュニケーション」が大事であるという前提がある。あの「2ちゃんねる」は、一方的でコミュニケーションが成立していないことが不備とされていた。


そんな中登場した「ツイッター」は、真のコミュニケーション成立を重視しないどころか、むしろ成立の不備、成立を回避することを重視。 ツイッターはコミュニケーションの成立ではなく、ディスコミュニケーション(コミュニケーションの機能不全)の機会をあえて増やすことを重視したのだ。今この一瞬の出会いを無数に作り出すことを第一に据えているということ。言ってみれば、「ツイッター」はネットコミュニケーションに深いつながり・交流を求めない…と開き直ったのである。

ツイッターに似ているのがカップルや友人同士の携帯メールやスタンプ系アプリだ。特に大きな意味を込めることもなく、「今〇〇してるよ~」と一日100通近いメールやスタンプを交換する。一つずつに答えを求めている訳ではなく、ただ繋がることの快楽を得、お互いの存在を確認しているということなのだろう。


本名を明かして営業ツールとして利用している場合などは別として、ツイッター利用者の多くはプライベートなことをありのままに書き綴る。考えを披露するというより、思ったことを単に吐露しているのだ。「ツイート=つぶやき」。誰もが自由につぶやける環境は確かに素晴らしいが、その反面、「つぶやき」はどうしても「意見」に比べると無責任になりやすい。そのことこそが私を「ツイッター」や「SNSのボイス・つぶやき」の類から遠ざけている要因である。

過去「ツイッター」がもたらしたプラス面は計り知れず、上手に活用している人が多くいることも承知している。私は決してツイッターを批判している訳ではなく、あくまで私の流儀として、単なるつぶやきはせず、熟考した意見を字数に関係なく発信していきたいと考えているだけなのだ。ちなみに、この記事の文字数は「1080」。1回140字以内のツイッターでは8回つぶやくということになる。どうやら私の”つぶやき”はかなり長いようだ(笑)。